【映画】『アメリカン・ビューティー』のパラノイアぷりったら

アメリカは病んでいた。

何かに取り憑かれ、
何かに苦しめられ、
行き詰まりをみせていた。

何がそうさせるのか分からずに、
ただがむしゃらに「成功」に向かっていく、
そんなアメリカンドリームだけが残存し、
今なお、追い立てられるように先へ先へ行こうとする。

それはまるで、パラノイアのように写ってしまう。

パラノイア、つまり妄想を抱く人々のこと。
自分を特殊な人間であると信じるとか、
隣人に攻撃を受けているとか、思ってしまう人々。

そんなパラノイア状態は、
中流階級の家にまで侵食していた、
というのが、この作品だと思う。


アッパーミドルのサラリーマン、レスターは、
妻、娘の三人暮らし。

一見普通の一家であるが、
もはや崩壊の兆しを迎えていた。


そして、3人のさらなる登場人物が現れる。

金髪美少女、変わった高校生男子、そして不動産キングの男性である。


それら3人に、一家3人はそれぞれが惹かれていく。


金髪美女と、冴えない中年男、
常にビデオを回し続ける変な高校生と、思春期の娘、
そして不動産キングと、仕事がうまくいなかい妻。


彼らは彼らに翻弄される。



夫レスターは、筋トレを始め、
娘ジェーンは、自分を撮り続ける男と一緒にいようとし、
妻キャロリンは、不動産キングと寝る。



まさに、それぞれが、アメリカが抱えるパラノイアを象徴する。



筋トレが象徴するマッチョイズム、
ビデオに映されることが象徴する自尊心、
そして、不動産キングが象徴する経済的成功。


この映画は、これらのパラノイアこそを、
「アメリカン・ビューティー」と皮肉ったのだった。




筋肉隆々のすばらしさ、
自分は特別だと思い込む自意識のすばらしさ、
金銭がもたらす繁栄のすばらしさ、
これらを「ビューティー」とみなすのが、
「アメリカ」なのである。

そして、それらに翻弄され、偏執的になっているのが、
いまのアメリカなのだと、この作品は語っているように見える。



1999年の作品ではあるが、
これらの価値観は廃れただろうか。


それは、今のアメリカを見てみればわかるだろう。





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by shinya_express | 2010-11-24 23:37