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日常を生きる

3月11日のお昼すぎ、
昼ごはんも食べずに仕事に没頭していた。

土日に待ち構える一年で一番大きなイベントの準備で、
社内は慌しい状況だった。

みな、睡眠時間を削り、疲労を浮かべ、
必死に明日のことを考えていた。



先輩に、次やる作業の相談をしていたときだった、
ふと、小さな揺れが起き、地震かな、とみんなが気づいた。

その小さな揺れはしばらく続き、
突如として、会社のビルは大きく揺れ傾いた。

外へ出ろ!という誰かの叫び声と共に、
みんな、外へ駆け出した。


誰か、中に残っていないか!
と叫ぶ声。

ぐわんぐわんと揺れる電柱。
アスファルトはもはや硬さを失い、
船の上にでもいるような不安定さをもたらした。

電柱につかまっていた僕らに対して、
危ない!と、となりのビルからの叫び声。


こんな不安定な世界でいったい何につかまったらいいのか、
いったい世界はどうなってしまったのか。

そんな不安がみんなの中に生まれた。

ついに、都市直下型地震がきたのか。


ビルは左右に揺れ、世界は垂直を失い、
安物のハリウッド映画の中に入ってしまったような、
そんな感覚が襲った。

そのとき、ほんの少しだけ思った。

世界は日常を失ったのかもしれない。
いままで堅牢に目の前にあった現実は、
儚く脆くフラジャイルに崩れ去り、
今までの日常などなかったかのように、
世界は結局、大きな固い世界に覆われていただけで、
その外には不安定でもろいぶにょぶにょの見知らぬ世界があるということを。


この感覚は、日に日に強くなるものの、
まだこのときは、事態の本当の深刻さなど微塵もわからなかったのだが。




しばらくして、揺れはおさまり、
ビル内にもどると、そこは、もはやいつもの社内ではなかった。

棚は倒れ、食器は砕け、書類や本は床に飛び散っていた。


けれど、みんなまだまだ元気だった。


明日イベントだってのに、これ片付けなきゃいけないのかよーー
と愚痴りながらも、みんなで手分けして、
もとあった場所へと戻しにかかる。

その後、たびたび余震が続き、
何度も外に逃げ出した。

揺れて、逃げて、片付けて、
揺れて、逃げて、片付けて。


なんかこんな地獄がどこかで描かれていたような気がしながらも、
みんな、日常を取り戻そうと着々と、仕事に戻っていった。


明日もあさってもイベント。
搬出もしなきゃいけないし、
資料や素材作り、
仕事は山のようにあった。

そのまま夜になった。



そのとき初めて、みんながテレビと見ることになる。


そこに映っていたのは、
津波に襲われた家々、
火の海となった街並み。

どこの世界の話をしているのかまったくわからなかった。


いま日本はいったいどうなっているのだろう。

みんな、我が目を疑った。


これは、イベントどころではないのではないか。
事の重大さに気付き始めた僕らは、
上の人たちと掛け合い、
明日あさっての予定を整理した。

そもそも帰宅できるのか?
交通網は?
イベント参加者は都内に来れるのか?
いろんなことが話されたけれど、
誰も未来のことなんてわからない。

ひとまず、明日までは今まで通り準備をすることになった。


夜を徹して、仕事をし、
地震どころではない忙しさの中、
土曜を迎えた。

朝からイベント会場へ向かい、
そこで参加者を待った。

その日のイベントは無事に実施され、
参加者も9割くらいは集まっていただいた。

こういう事態だからこそ、
人は集まり、交わしあうことで、
少し日常に戻っていっている実感がした。


しかし、
日曜日のイベントは中止になった。
会場に亀裂が入ったのだった。


「いつもどおり」やろうとするのが無茶だった。
もうそこに、「いつも」はなかったのだった。

何ヶ月もかけて準備してきたものが中止になり、
みんなの脱力感は社内を充満させた。

そしてみんな帰路についた。
僕も帰宅した。
何日ぶりの帰宅だろうか。

帰宅電車は意外と空いていた。
土曜に外出した人は少なかったからかもしれない。

簡単に帰宅し、
自分の部屋に戻ったら、
そこはいつもどおりの自分の部屋だった。

揺れなんてなかったような、
ただ自分のせいで散らかっているだけの、
いつもどおりの一人暮らしの部屋だった。

心配していたぶん、拍子抜けだった。

寝る場所もないくらい、本や食器が倒れているのかと思った
自分が恥ずかしくなった。

日曜は一日中寝ていた。

先週はほとんど寝れなかったし、
イベント準備で疲労困憊だった。

起きると日曜の夕方になっていた。
20時間は寝てたかもしれない。

起きて外に出ても、
みんな元気に活動していた。

ちょっとコンビニの商品は少なかったけれど、
いつもどおりの吉祥寺だった。

明日から、地震からの復帰にとりかかろう、と
夜も眠りについた。

月曜日。

遅刻しそうだったので、
慌てて支度し、
走って、駅に向かった。

いつもどおりの道、
いつもどおりの遅刻、
いつもどおりの眠気、
いつもどおりの空だった。



けれど、
駅につくと、
やはり世界はおかしいままだった。


そこには、
2000人か、3000人か、
人が列をなして、電車を待っていた。
待っていたのかも分からない。
駅の外まで人で溢れかえっていた。

いったいどうしたというのか、と一瞬戸惑ったけれど、
これが地震の現実だった。


電車は動いているものの、
本数が少なすぎて、
いつものようには人を吸い上げることが出来ていなかった。


みんな、日常に戻ろうと頑張っていた。
地震が起きても、
また今日を生きようとしていた。
仕事に向かおうとしていた。

けれど、
やはりここは今までの世界とは違ったのだった。

もう別の地球にいる。

今までの常識は通用せず、
今までのようには生きられない。

日常のままでいては、
非日常に飲み込まれてしまう。

自分の力で生きなければならない。
自分の足で前に進まなければならない。

地震でぐにょぐにょになった地面で、
両の足を突き立てるように、
僕らは立たなきゃいけない、
そんな気がした。



テレビは悲惨な状況を映すことに躍起になる。
かわいそうを演出する。
ネットではホントの情報もウソの情報も溢れかえる。
町は節電で薄暗く、
スーパーに食材は少ない。
実家長崎は平和なまま。
いろんな現実が錯綜する「いま」。


僕らは何を信じ、何に向かうのか。


今までぬくぬくと育ってきた。
戦争も知らず、テロも知らず、危機を知らず、
なよなよと引きこもり、
自分探しに没頭した。

そんな夢のような時代は終わりを告げたのかもしれない。


もっと世界は残酷で、不安定で、信用ならないものなのかもしれない。



じゃあ、いま何をすべきだろう。



援助?募金?ボランティア?



それも大事だけれど、
やっぱり日常を取り戻すべきなんじゃないだろうか。


僕らは非日常の中だけで生きることはできない。

そこに、明日も続いていくという安心感とか
堅牢な世界とか、信頼感とか、
そういったもので自分たちの目の前を固めないといけないと思う。

だから、日常を生きようと努めなきゃいけない。

もちろん、
いつも通りに暖房つけまくったり、
被災者に無関心になったり、
ということではない。

自分がやってきたこと、やり続けることを、
今もやんなきゃいけない。


お昼ごはんの分を募金に回すのではなく、
お昼ごはんも食べて、募金もすればいい。


だから、サラリーマンはデスクに向かい、
研究者は本を読み、
芸術家は絵を描き、
学生は勉強して、
作詞家は詞を書かなきゃいけない。

いまできない人は、たぶん一生できないだろう。

いまの情報に翻弄され、
いましか見えない人は、
これからもずっと狭い人間になる。


自分にできることは、
被災地に行くことじゃない。

日常を取り戻すために、
ちょっとずつ「普通」を回復することだ。



いつも通り、よくいくラーメン屋にいくと、
いつも通りのメニューがそこには並ぶ。
いつも通りの掛け声と共に、いつも通りのラーメンが出てくる。
いつも通りの味に安心感を覚え、いつも通り完食する。
いつも通りの値段に支払いをすませ、
そして帰り際に、「お気をつけて」と。



僕らは、日常を生きる生き物だ。
そこに決まった習慣とかルールとか安心とか信頼とか、
そんなものがないと、
やっぱり生きてはいけない。


だから、日常を生きようと思う。

それがたとえ、いますぐに役に立つことでなくても、
それが震災に役に立つことでなくても、
僕らの日常を取り戻すことにつながるのなら、
それに粛々と向かうことこそ、今必要なことなのだと思う。
by shinya_express | 2011-03-15 15:46