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Brothers & Sisters ー父性の肥大化、喪失、母性ー

父性の喪失について最近は考えることが多い。

それは、Brothers & Sistersというアメリカドラマを見ているからである。


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このドラマは、ありきたりなホームドラマである。
兄弟5人と両親が織り成す家族の話。


けれど、第一話で、父が逝去する。

残された子ども5人、そして母は、
父が遺した数々の問題に直面していく。


父はファミリーカンパニーを経営していた。

そこで長女と長男が働いており、
必然的にその会社を引き継ごことになる。
子どもたちは、すでに30代前後であり、
それぞれにそれぞれの生活を持っている。

父の会社を引き継ぐ長女と長男、
独立してニュースキャスターとなる次女、
弁護士として生きている弟次男、
イラクに従軍した三男。

彼らは、父亡きあと、
それぞれの価値観で生活を営んでいく。

がしかし、
そこには父の亡霊が付きまとうのである。

父が遺したのは、多額の借金、愛人、隠し子だった。

それらの難題を、
家族はぶつかり合いながらも団結して乗り越えていく。


この物語で描かれているのは、
明らかに喪失されてもなお、亡霊として付きまとう肥大した父性である。

河合隼雄によると、
父性とは、「いい子はわが子」の論理だという。

母性は、「わが子はいい子」論理で、
すべての子を平等に扱い、母性愛で包みこむ。
そこに区別も差もなく、横の並びで子どもたちに接する。

それに対して、
父性は、そこに序列、価値観をもたらす。
それを「分離」と表現する。
つまり、いいことと悪いこと、正しいことと間違ったこと
というような価値観を導入し、
子どもたちに、いい子という規範を示す。
それが父性なのである。

つまり、
母性が子たちを包含し、父性が分離する、というのが
いわゆる心理学でいわれるところの父性母性なのである。

このドラマの一家は、
その父性の呪縛から逃れ、
母の愛によって、それぞれを平等に、対等に包まれる。
そこに母子愛が生まれ、問題を乗り越える。

しかし、たびたび、いまだに子どもたちは父の価値観から抜け出せない。

なぜ自分に会社を継がせたのかと長女は自問自答する。
なぜ自分をトップにしてくれなかったのかと長男は問う。
ゲイである自分を愛してくれなかったと次男は苦悩する。
母を傷つけた自分を父は軽蔑していたと次女は悩む。
戦争に行ったことで、父は自分を否定したと三男は苦しむ。

こうして、兄弟たちは、
肥大した父性の規範に縛られ、
それに囚われ続ける。
父性を信じ、父性に縛られ、そしてあがく。

父は何を思ったのか、誰を一番だと考えたのか、自分たちに何を求めたのか、
そうやって兄弟たちは苦悩するのである。

しかし、その父性の正体は、
多額の借金、愛人、そして隠し子であった。

肥大した父性はそこで崩壊し、
彼らはアイデンティティの一端を失う。

そんなときに、そんな彼らを平等に包みこむのは、母である。

彼らを区別せず、無償の愛で抱きしめる。


そうして、彼らは救われるのである。


何度もぶつかり合う兄弟たちは常に父性の呪縛の中で苦闘する。

お前を父は一番に信頼した、とか
お前が一番父に愛されていた、とか、
父は自分を見てくれなかった、とか、
そういう妄想だけが、暴走し、
ありもしない擬似父性を想定し、
その行き違いでぶつかり合う。

しかし、母は、
父はみなを平等に愛していたということを伝える。
それが真実かどうかではなく、
そうやって母性によって包みこむのである。

このドラマの中では、
やりすぎというくらいに、母を否定しない。
出過ぎたマネをすることの多い母であるにもかかわらず、
話の流れで結局は母が正しかったというストーリーを創りだす。

そのやりすぎというくらいの母性の肯定は、
父性の喪失の反動以外の何ものでもない。

それほどまでに、家族は母性に飢えているのである。


しかし、これは、単にこのドラマの中だけのことなのだろうか。

それは、アメリカという国を象徴しているのではないだろうか。


つまり、父性としての秩序が崩壊したアメリカは、
今猛烈に肯定してくれる、包みこんでくれる母性を欲しているのではないだろうか。

世界の警察として「活躍」し、悪の枢軸を殲滅せんがために奔走したアメリカは、
いま、その寄る辺となる規範を失っているのではないだろうか。

父を失ったこの一家のように、
秩序を失ったアメリカ国家は、右往左往し、
何を信じていいかわからず、
過去の価値観に依存し、
もう一度父性の復権のためにオバマを擁立した、
とは言えないだろうか。

そして実は、
もう大丈夫、あなたはよく頑張った、
と言ってくれる母性を求めているのではないだろうか。

世界の父性たろうと奔走したアメリカは、
その任に疲弊しているのではないだろうか。

母性から独立しようとし、さらに新たな父性を確立しようともがく様子を
Brothers & Sistersシーズン3の第10話は端的に描く。

子どもたちはそれぞれの家庭を持ち、
一緒にサンクスギビングを母と過ごせない、と母に告げる。
(それが各自の母性からの独立を意味する)

しかしながら、長男の娘が肝臓の病気になり、次男がそのドナーになるといった事件が起こる。
(実は長男は子供の出来ない体であり、次男が精子を提供したので、
長男の娘の生物学的父は次男、という複雑な経緯がある。)

そういった事件が起こり、
結局は、家族みんな母と一緒にサンクスギビングを過ごすことになるのである。

ここで描かれていたのは、
父となることを意識した長男の苦悩であり、結局は母性に絡め取られる家族の依存性である。

生物学的には次男の子であるにもかかわらず、長男は「父」となることを引き受けた。
その意思が揺らぐのが、娘を直接的に助けられない父としての無力さであり、
結局は生物学的父である次男にしか娘を救えないという事実だったのである。

「父となること」に苦悩する長男、
生物学的には「父になってしまっている」次男。

彼らを、並列的に包みこむのは、
もちろん母である。

父となることをひとまず保留し、
結局は今まで通り、母性にすがるのであった。


これはまさに、オバマを新たな父性として掲げようとするものの、
結局はまだ子どものままに陥っているアメリカという国そのものなのである。


シーズン1で父性の肥大化、
シーズン2で父性の否定と絶対的母性の肯定、
そしてシーズン3では母性から自立しようともがく姿勢が描かれているのである。

まだまだ先が長いこの物語はどこへ行き着くのだろうか。
もはやアメリカの迷走と同様に、ドラマも迷走するのではないか、と不安になりながらも、
今日もドラマの続きを見続けている自分は、一体何を求めているのだろうと自問自答するのである。
by shinya_express | 2010-11-13 21:28